変わりゆく熱海銀座の今

東京に最も近い地域創生 熱海の逆襲

2017/10/06(金) 公開

関東圏からは最も近いリゾートの一つである熱海。最盛期の1969年には530万人いた宿泊客は徐々に減少が続き、2011年には246万人(出典:熱海市役所)と統計以来最低を記録した。バブル期に建てられた大量のホテルや別荘は空き家となり、空き家率は50.7%、高齢化率は44.7%にまでなっている(2015年国勢調査)。熱海はいつしかこう語られるようになった。「50年後の日本だ」と。“課題先進国”と呼ばれる日本の中でもさらにその課題を先取りする熱海で奮闘する男がいる。東京から熱海にUターンし、株式会社machimoriを立ち上げた市来(いちき)広一郎さんだ。(企画:Yahoo! JAPAN)

登壇者が涙ぐむほどの説明会

「一緒に熱海の未来を作りましょう!」「絶対に熱海はよみがえる!」。6月に行われた「ATAMI2030会議」の最終発表会は異様な熱気に満ちていた。200人近くが集まった会場で、次々と自らのビジネスアイデアを発表していく。中には感極まって涙ぐむ登壇者もいるほどだ。「ATAMI2030会議」は熱海市と市来さんたちが企画運営し、2030年の熱海の姿を考え、25のチームがビジネスアイデアを発表するカンファレンスだ。

登壇者の多くが、熱海市と市来さんたちが2016年から始めたビジネススクールである「99℃ -Atami Startup Program-」の受講者。4カ月のプログラムを経て、5つのテーマ「不動産と地域資源」「食と農」「林業とエコな暮らし」「福祉と健康」「ツーリズム」を軸に、事業を考案する。

このスクールを訪れるのはごく普通の熱海市民たちだ。子育てに奮闘するママや飲食店を経営する中年男性たち……。彼らがビジネスアイデアを発表、中には実際に起業し、経営者になるメンバーもいる。話し合われているのは2030年の熱海の姿だ。

「99℃ -Atami Startup Program-」会場の様子

(提供:市来広一郎)

4カ月のプログラムではビジネスのプロたちが受講者たちの事業計画書に指摘を入れていく。「本当にそれでやっていけるの?」「誰がそのサービスを使うの?」。著名なメンターが指導に入り、時には受講者たちが泣き出すほどの厳しさでアドバイスを入れていく。すでに第1期は終わり、10のプロジェクトが始動した。その内容はシェアハウス事業や東京からの移住を見込んだトライアルステイ事業、喫茶店とバルが融合した飲食店の経営や有休不動産の活用など。受講者のうち3人は実際に会社を作り、熱海を軸に起業家として事業をスタートさせる。「補助金頼みじゃダメ。どんな小さな事業でもいいから継続性のあるプロジェクトを作り上げないと」。ここまで熱海に入れ込む市来さんは、何者なのか。

ひなびた中心街が変わる

市来さんの代名詞とも言えるのが、熱海の繁華街である熱海銀座商店街(通称:熱海銀座)にオープンした宿「guest house MARUYA」と複数の飲食店が入る「シェア店舗RoCA」だ。今やMARUYAには年間4000人が宿泊し、うち20%が外国人(熱海の観光客の外国人比率は2%程度)という人気ぶりだ。

「50年後の日本」とまで揶揄(やゆ)された熱海で、なぜ市来さんは新たに事業を始めたのか。ひなびた温泉地を立て直そうとする市来さんのルーツは20年以上前の熱海にある。

熱海の中心となる商店街・熱海銀座に位置する「シェア店舗RoCA」。ジェラート店やコーヒーショップなどがテナントとして入る(撮影:稲垣純也)

熱海銀座の「MARUYA」の共有スペース(撮影:稲垣純也)

(左上)世界中から宿泊客が訪れる (右上)カフェバーには地元住民も足を運ぶ (左下)個室は一室ごとに雰囲気が異なる (右下)部屋はカプセル型(撮影:稲垣純也)

自殺に夜逃げ、ボロボロになっていく故郷

熱海で生まれ育った市来さんは高校生の時の感覚を今でも覚えているという。「1990年代ごろだったかな……。当時は『○○さんが夜逃げした』とか『○○さんが自殺した』とかっていう話を聞くこともあった。熱海に来た友人には『このまち、廃墟みたいだな』って言われた」。将来は物理学者を志していたが、ぼんやりと心のどこかで故郷に対する危機感だけはあった。その思いは熱海を離れ、東京の大学に進学しても変わらなかった。

就職活動の時にもコンサルティング会社の最終面接ではっきりと「熱海をコンサルしたい」と伝えて内定を獲得した。「コンサルっていう仕事はたくさんの会社を見て、その“会社ごと変える”力がある。熱海にも活きるはずと思っていた」。しかし就職先で待っていたのは夜も朝もなく暮らす多忙な日々だった。そんな激務の中でも市来さんは常に熱海のことを考えていた。コンサルとして3年半がたち、大きな案件も手掛けるようになったが、「熱海のことばかり考えすぎて普段の仕事が手につかなくなるほどだった……」と苦笑する。

思い切って辞表を提出し、故郷に戻った市来さんは2007年にNPO法人 atamista(アタミスタ)を立ち上げる。スタート時はもちろん収益はなく、塾講師のバイトで食いつなぐ生活が始まったが「やるしかない」と腹をくくっていた。

最初に始めたのは「熱海を知る」ことだった。日々、街頭に立ってインタビューをしていると気づいたことがあった。「地元の人みんなの地元の対する評価が異常に低いんです。熱海には何もないって。100年以上の伝統を持つ商店でさえも、それほどにも歴史があるのに、うちの店は歴史がないって、ネガティブ。後々、僕たちが熱海銀座にオープンしたカフェを応援してくれた人でさえ、当初は『悪いことは言わない、この通りでカフェを始めるなんてうまくいかないからやめとけ』とか言うんですよ(笑)」

市来広一郎さん

(撮影:稲垣純也)

だが市来さんにはある信念があった。「そういうことを言う人は熱海を知らないだけなんです」。そこで始めたのが「オンたま(熱海温泉玉手箱)」という取り組みだった。オンたまでは熱海の在住者や移住希望者などを集めて、イベントを開催、お店との交流を図る。イベントの一例として「熱海のディープな裏路地を案内するツアーや、老舗の干物屋直伝の干物作りを学べるワークショップなどを開催しました。時には空の弁当箱だけを持って、さまざまな惣菜屋をめぐる企画なんていう“変わり種”のイベントもやりました」。

オンたまの狙いは経済効果ではない。「知らなかった魅力に気づいてほしい。まずはそこから。住んでいる人でも気づかないような良さが熱海にはあるんです」。気づけば熱海のユニークな街歩きはメディアにも取り上げられ、3年間で延べ5000人以上が参加した。「明らかにみんな熱海に自信を持ってくれたんです。ここではじめての手応えをつかみました」と振り返る。

「熱海を知る」ことができた市来さんはいよいよ観光客や移住者を誘致すべく、まちづくり会社である「machimori」を設立、本格的に熱海銀座の再生に乗り出す。掲げたのは「クリエイティブな30代に選ばれるエリア作り」だ。

今では「おしゃれなゲストハウス」として世界中から旅行者が訪れるようになった「guest house MARUYA」だが、順風満帆というわけではなかった。「最初は旅館業を営む方々から『旅館運営を遊びでやるんじゃない』ってすごまれたこともあります」と苦笑する。だが、「もうそりゃコツコツやっていくことですよね。まちづくりに近道はないなって痛感させられました」

現在、熱海銀座には「シェア店舗RoCA」と「guest house MARUYA」に加え、コワーキングスペースの「naedoco」も開設、遠隔勤務が可能なIT企業などの需要を見据える。「これからの熱海はかつてのように団体旅行の観光客でごった返す、ということにはならないと思う。それなら例えば東京にも通ったり、二拠点居住したりという『住むことと旅することの間の多様な暮らし方ができるまち』としての新たな需要を掘り起こしたい」と今後の展開を見据える。

市来さんが東京から戻ってきた2007年当時、熱海銀座は30店舗のうち10店舗が空き店舗だった。シャッター街になりつつあった商店街の空き店舗も、市来さんたちの取り組みを聞きつけ、企業からの出店依頼が増加、今年度中には3店舗まで減る見込みだ。取材した日も平日にもかかわらず、熱海銀座にはそぞろ歩きする若者たちの姿が見受けられた。わずか200メートルの商店街だが、市来さんの取り組みは着実に実りつつある。

(撮影:稲垣純也)

小さな商店街から始まった変革は熱海全体に及びつつある。「バブルの時みたいに数百人で泊まりに来る時代は終わった。だから当時みたいに旅館の中に宴会場があって、カラオケがあって、すべてを旅館内で完結させる時代じゃなくなった。これからは少人数で来てもらって散策してもらう、まちを “探検”する。熱海もそんなニーズに応えるまちに変わりつつあるかもしれません」

市来さんはこう語る。「地方創生の鍵はカネじゃない。『人』です。それも地元の視点と東京の視点という2つの視点を持っている人が必要だと思います。東京が近いせいもあって、熱海にはそういう人材が集いやすいような気がします」。2011年に底を打った観光客数も2015年には観光客も再び300万人を超えた。「やっと最近、熱海って変わったよねって言われるようになりました」。気づけば10年以上の歳月が過ぎていた。

課題先進地域の熱海は、どんな未来を提示してくれるのか。そこに日本の進むべき道しるべがあるかもしれない。

(撮影:稲垣純也)

市来広一郎(いちき・こういちろう)
1979年生まれ。静岡県熱海市出身。株式会社machimori 代表取締役、NPO法人atamista 代表理事を務める。大学から東京へ移り、ビジネスコンサルタント業務を担うIBMビジネスコンサルティングサービス株式会社(現・日本IBM)へ就職。その後2006年にNPO法人の社会起業・政策学校である一新塾に加わる。1990年代後半には実家で運営する宿泊施設が閉鎖するなど、帰郷するたびに廃れゆく故郷の姿を目の当たりにして、自らまちに活気を取り戻そうと事業を立ち上げた。