武雄・嬉野の“先駆者”たちの挑戦

「魅力がない県」を超えて。佐賀県観光産業の“第一歩”

2017/10/05(木) 公開

ブランド総合研究所が毎年発表する「都道府県魅力度ランキング」では常に下位に位置する佐賀県(2016年は38位、2015年は46位)。その佐賀県に、アジアからの観光客を呼び込む好機が訪れている。一つは今年6月に佐賀空港と台北が直通便で結ばれたこと。もう一つは2022年の九州新幹線西九州ルートの新設だ。福岡市(博多駅)~長崎市(長崎駅)を結ぶ新幹線の開通が予定されている。どうやって福岡県を訪れた観光客に足を伸ばしてもらうか。佐賀県の“先駆者”たちはすでに動き始めている。好機と危機感の狭間にゆれる佐賀県内の2つの市のキーマンたちを追った。

「倒産寸前」だった旅館の復活までの道のり

佐賀県武雄市には、300万年前に隆起した高さ207mの水墨画のような山がある。この御船山と呼ばれる山を中心に、1845年、当時の武雄領主・鍋島茂義がこの世の“楽園”をイメージして「御船山楽園」を完成させた。

現在もツツジや紅葉の名所として愛される庭園で今年7月から行われているのが、「かみさまがすまう森のアート展」(会期:7月14日〜10月29日)だ。「鑑賞する芸術ではなく、一緒になって参加するアート作品」を打ち出すチームラボが新たに仕掛けたこの展示会では、50万平方メートルの庭園の中で巨大なアート作品を“体感”することができる。

170年の歴史を持つ御船山楽園(撮影:荒木宣景)

5万株のツツジに仕掛けられた光が来場者の動きに合わせて明滅し音色を響かせ、幻想的な雰囲気を作り出す「生命は連続する光 - ツツジ谷」など、合計14作品の展示にこれまで5万人以上が来場している。

「生命は連続する光 - ツツジ谷 / Life is Continuous Light - Azalea Valley(資生堂presentsかみさまがすまう森のアート展)」。来場者はツツジの中に分け入ってアートを体感する(撮影:荒木宣景)

来場者はアート作品を探して広大な庭園を“さまよい”、山道の中でアートに“出会い”作品そのものを“体験”する。自然の中に溶け込み、ただそこに存在する作品の前には解説するスタッフもキャプションも説明もない。その解釈は来場者に委ねられているのだ。207mの高さの御船山、そして壮大なスケールで屹立するアート群を前に訪れた観客たちからは感嘆の声が漏れる。

この御船山楽園を保有し、チームラボのイベントを開催したのが株式会社御船山観光ホテルだ。御船山楽園に直結する「御宿 竹林亭」には、今上天皇も宿泊されたという。全室から御船山を見上げることができ、1泊食事付きで4万円以上という高級旅館だが、現在は予約が困難なほどの人気ぶりだ。

だが14年前、この会社は倒産寸前だったのだ。「借入金が売上の6倍もあった」と、社長の小原嘉久さんは当時を振り返る。同社はどのように復活を遂げたのか。小原さんに話を聞いた。

御船山観光ホテルの小原さん(撮影:荒木宣景)

借入金が売上の6倍、悪夢にうなされる日々

もともと東京でDJをしていたという小原さん。2003年、28歳の時に当時の社長である父が体を壊してしまったことをきっかけに佐賀県に戻ってきた。「最初はちょっとした親孝行と軽い気持ちで」と言うが、事態は急変する。「結局(それまで会社を手伝っていた)兄がうちを辞めて自分で事業を始めるって言い始めましてね」。気づけば社長の椅子が待っていた。

そこからが茨の道だった。「当時の会社の状態がむちゃくちゃでした。売上が年間2億円なのに借入金が12億円。6倍ですよ」。すでに融資銀行では「破綻候補」という取り扱い。一般的に宿泊業は客室稼働率50〜60%を維持しないと黒字にならないにもかかわらず、20%台という惨憺(さんたん)たる有様だった。「ひどい月になると100人も宿泊しないこともあった。利益も出ていないから追加融資も受けられない。だから投資もできなかった」。血を流しながら死を待つ状態だった。

露天風呂からは雄大な御船山を見ることができる(提供:竹林亭)

「とりあえず止血をしよう」。取り組んだのはささいなことからだった。「まずは庭園の玉砂利の草むしりとか、従業員の教育とか。おカネがかからないところからですね」。それでも売上は戻らない。毎日眠れない夜が続き、深夜に出社しては仕事をする日々だった。「借金漬けだったので、本当に苦しかった。毎晩大きな石に潰される悪夢を見ていました」

転機となったのは、小原さんがなけなしの金を投じて始めた「秋の紅葉のライトアップ」だ。九州で最大級となる紅葉のライトアップを企画し、自分で書いたリリースを持って駆けずり回った。「その甲斐あってようやく人が訪れるようになった。当たり前のことをちゃんと改善していく。そうやって徐々に持ち直していきました」。

小原さんが必死になって集客策を練る中で出会ったのが猪子寿之さん率いるチームラボだ。自然の情景に「楽園」を描き出したかつての領主・鍋島茂義の考え方を現代に応用したらどうなるのか。小原さんはそんな発想に賭けた。

それはチームラボにとってもチャレンジだった。チームラボのオム・ジョンシクさん曰く「自然が相手なので、天候によって(環境が)まったく変わってしまうのが難しいところ」なのだという。例えば「『小舟と共に踊る鯉によって描かれる水面のドローイング 』では、池の水面にプロジェクションしています。水面はセンシングされ、映像は船頭の小舟の動きと連動してインタラクティブに変化します。ですが、降雨量や池の透明度によって見え方はまったく別物になってしまいます」。最初は庭園の一部で小規模に始まった展示だったが、3年かけて、徐々に拡大、2017年に全敷地での展示に至った。

「小舟と共に踊る鯉によって描かれる水面のドローイング 」(撮影:荒木宣景)

「観光資源がない」は思考停止

小原さんが就任した当時は年間1万人程度だった来園者数は今年度30万人を見込む。9月の客室稼働率は90%を超え、“落ち目の旅館”の面影はまったくない。地獄を見た小原さんだからこそ、この言葉に説得力が宿る。「地方創生に特効薬はない」

さらに「観光資源がないっていうのは思考停止。自分たちで企画を立ててコンテンツを生み出す頭と体がなさすぎる」と苦言を呈する。「バブルの頃は待っていればお客様が来た。大手の旅行会社が格安のツアーを組んで団体でやって来る。旅館側は買い叩かれてもお客様を連れてきてくれるから文句は言えない。でもそのブームが去ったら、『はい、おしまい』の状態。気づけば頭も体も弱りきった状態になってしまった」

御船山観光ホテルの小原さん(撮影:荒木宣景)

「今のインバウンドブームも同様」と危機感を抱く。バスで大挙して乗り付け、“爆買い”するブームは一巡しつつある。「インバウンド需要で大丈夫、なんてとんでもない。これからは外国からのお客様が“選ぶ立場”だ。この旅館ならではの深い体験をプレゼントできないとすぐにそっぽを向かれる。むしろこれから旅館業界は淘汰の波が訪れるとさえ思っています」

同じように危機感を持っているのが武雄市の隣に位置する嬉野市だ。

まちの構造が変わる、嬉野市長の危機感

かつては九州有数の温泉地として栄えた佐賀県嬉野市。市の収入の7割を観光産業に依存している。湯けむりの立ち上る温泉街に芸者たちの下駄の音が響いていたのも今は昔。バブル期をピークに人口減少が続き、嬉野市の谷口太一郎市長も「日本の他の温泉地と同様、バブル以降は苦境に立たされてきました」と振り返る。

嬉野市の谷口市長(撮影:諸石 信)

徐々に減少する人口、寂れていく温泉街……。有効な一手を打てない中、決まった九州新幹線の延伸。谷口市長は「始発と終点の駅だけが賑わう“ストロー現象”だけは絶対に避けないといけない」と危機感を露わにする。延伸される中で嬉野市(仮称:嬉野温泉駅)だけが在来線も通っていない。つまり完全に新設される駅なのだ。「新幹線どころか鉄道もないまちでした。これはまちごと構造が変わる。そうなると行政だけですべてをまとめることはできなくなる」。そこで嬉野市は新たな試みを始める。それが産学官連携のまちづくり会社である「嬉野創生機構」の設立だ。

その嬉野創生機構の代表取締役を務めるのが、同市出身の古田清悟さんだ。古田さんは言う。「民間と行政とさらには大学、三者で一緒になってまちを“プロデュース”していかないといけない」。

嬉野創生機構の古田さん(左)(撮影:諸石 信)

どういうことか。「仮に観光客が増えたとする。でも今のキャパシティじゃ宿泊施設は足りないし、まちの魅力も十分に伝わらない。観光体験として不十分。訪れた人に対して嬉野のコンテンツを魅力的に伝えることが必要なんです」

古田さんは単発のゆるキャラやB級グルメのヒットだけでは地域創生に与える影響は「微々たるもの」と考えている。地域を循環し、リピートしてもらえる観光産業を創っていくためには、まち全体に「串」を通すことが必要だという。「嬉野は温泉だけじゃない。日本ではまだ知名度が低い『嬉野茶』という知られていない最強のコンテンツがある」

温泉と並ぶコンテンツとして期待される嬉野茶(撮影:諸石 信)

嬉野温泉は日本三大美肌の湯に選出されるほど泉質がよく、九州では別府や由布院と並ぶ温泉地である。さらに、嬉野は伝統的な製法ですっきりした甘みが特長の「釜炒り茶」の産地でもある。

茶を炒るための釜。熱した釜に直接手を突っ込んで炒るのが伝統的な製法(撮影:諸石 信)

「究極の癒やし」というコンセプト

「お茶と温泉」という2つ材料の掛け算から古田さんが導き出したコンセプトは“究極の癒やし”だ。「世界中から癒やしを求めて嬉野に人がやって来るような場所にしたい。もともとお茶は人間の感性を刺激し、覚醒させる効果があります。もちろん温泉が体に与える医療的な効果はよく知られています」。さらに嬉野には脳神経外科や救急も備えたスタッフ600人規模の巨大病院「嬉野医療センター」も移転して新たにオープンする予定だ。「医療も癒やしの一つと幅広く捉えてメディカルツーリズムにも発展させていきたい」と意気込む。

だが、茶農家、旅館、病院に鉄道、行政がそれぞれバラバラに動いていてはそのコンセプトは実現できない。そこで巻き込んだのが佐賀大学だ。「佐賀大学には医・農など幅広い学部がある。連携する学部も増やしていく」。すでに理工学部の三島伸雄教授のもと、廃業した旅館を蘇らせるプロジェクトを開始している。「バブル以降、大量の遊休資産が残っている。それを使わない手はない」

ここまで“大風呂敷”を広げる古田さんだが、すでに手応えは掴んでいる。2017年、嬉野茶を気軽に飲める茶屋「幻幻庵」を関係者とともに東京・渋谷センター街近くに出店したのだ。茶道のようなハードルの高いお茶ではなく、若者がカフェのようにフラっと気軽に立ち寄って、本格的な日本茶を楽しめる。幻幻庵で提供される嬉野茶を製作した茶師の松尾俊一さんは「10代、20代の若者たちが目を丸くして驚くんです。『これがお茶なのか』って。外国人にも好評です。お茶はこれからブームになると思っています」と自信をのぞかせる。

前職は東京で医療関係の技術者だったという松尾さん(撮影:諸石 信)

お茶と温泉をどう仕掛けるか。古田さんはすでにその先を見据えている。自動運転で宿までたどり着ける仕組みや、通信会社と連携して観光客向けにSIMカードを配布するサービスなどを仕掛けるべく大手通信会社との交渉も始まった。

果たして佐賀は過去の賑わいを取り戻せるのか。「何もないから変なしがらみもない。あとはエンジンをかけて突き進むだけ」(古田さん)。2022年の嬉野はどんな姿を見せるのか。まだ第一歩を踏み出したばかりだ。