脳研究者と考える

人付き合いの苦手なあなたが社会を進歩させる

2017/10/11(水) 公開

コミュニケーション能力、通称“コミュ力”は、現代社会を生き抜くには欠かせない必須スキルとなりつつあります。

就活でも転職でも「学力よりコミュ力」が評価される向きがあり、コツコツ勉強するよりも、人付き合いにたけているほうが有利なのでは……と思っている人も多いのではないでしょうか。

こうした時代の空気に不安を感じているのが、日本人に多いといわれる“人見知り”の人たち。コミュ力の強者たちが時代の波に乗ってどんどん活躍していく中で、人付き合いが苦手な人たちは、ただぎこちない笑顔を振りまくことしかできないのか。

しかし、そうした意見に対して、脳研究者で東京大学薬学部教授の池谷裕二さんは、あえて異を唱えます。

「むしろ、今の社会は人見知りを欲している。だからこそ、そういう人が壁にぶつかる機会が増えているのです」

その真意とは……?
(取材・文:小山田裕哉 企画:Yahoo! JAPAN)

コミュ障は本当にダメなのか?

さまざまなデータを見ても、人見知りの人がどんどん生きづらい世の中になってきているのは間違いないようです。

例えば、帝国データバンクが今年4月に発表した企業が求める人材像に関する調査によると、回答した1万82社のうち38.6%が「コミュニケーション能力が高い」人材を求めていると回答。特に大企業にその傾向があることを報告しています。

就活の現場でも「学力よりコミュ力が大事」といわれ、内向的な人よりも外向的な人のほうが求められる。特に社会がグローバル化している中で、コミュニケーション能力は生き抜くために必須の能力となってきた感すらあります。

ところが、池谷さんはそんな認識に疑問を呈するのです。いったい、どうして?

「本当に今の企業はコミュニケーション能力があればOKと思っているのでしょうか。私は違うと思います。もしかしたら人見知り、英語でいうとintrovert(内向的)な人も必要なのではないでしょうか。彼らは社交性には多少欠けるかもしれませんが、物事に集中すると、とことん突き詰めるタイプが多い。ただ、人付き合いを苦手としている。実は東大生の3~4割はその傾向があるとの声も聞きます。みなさんは東大生と聞いて、どんなイメージを思い浮かべますか?」

うーん、頭はものすごくいいけど、人付き合いはちょっと苦手……という印象でしょうか。

「今だったら“コミュ障”などと呼ばれるタイプですね。企業がコミュニケーション能力を重視するにつれ、東大生は『学力はあるのに使えない、残念なやつ』と見られることが増えている。私が東大の先生だからということもあるかもしれませんが、彼らの真の才能を近くで見ていると、その評価はちょっと一方的すぎる偏見だろうとも思うのです。

今はIT技術の普及によって、あらゆる業界でイノベーションが求められています。しかしITでイノベーションを起こすのは、人付き合いがうまい人よりも、例えば人よりも図抜けてプログラミングができる人ですよね? 採用する側も、本当はそういう「使える人」が欲しいと思っているはずなのです。

しかし、面接などでコミュニケーション能力を重視して評価をしていたら、内向的な人は低い評価しか受けない。これがまん延すると、内向的な人は本来の能力を発揮するチャンスのないまま、『自分は能力が低い』と思い込んでしまいます。これが今の日本に起こっているミスマッチです」

こうした指摘を踏まえ、池谷さんは「人見知りについて正しい認識が広まることは、社会が健全になる第一歩」だと語ります。

「人見知りが自分を知り、社会の側も人見知りについて正しい知識を持つ。大げさにいえば、それは日本の未来にとって重要な意味があると私は思っているんですよ」

日本のイジる文化が人見知りを生む

ただし! ここでいう“人見知り”とは、周囲に「自分は人見知りなんですよ~」と言える人のことではありません。そういう人はある意味、周りの空気を読んで発言できる外向的な人といえます。

「例えば、人見知りが脳の構造に由来しているケースもあります。これまでの研究では、内向的な人は皮膚のコンダクタンスが高い傾向があるとわかっているのです」

コ、コンダクタンスって?

「電流の流れやすさ、という意味です。コンダクタンスが高いとは、肌の表面水分が多い状態です。うっすら汗をかいて緊張しているわけです。さらに内向的な人は、舌の裏側にレモン汁を垂らすと、人よりたくさんよだれが出ることがわかっている。いわゆる、知覚過敏ですね。

自覚できるもので最もわかりやすいのは、布団に入ったときに時計の音が気になってしまう。あるいは、シャツのタグがどうもムズムズする。内向的な人には、こういう傾向があるとわかっています。こうした研究結果から言えるのは、経験不足だからではなく、生まれつき脳がそうなっているから、人見知りになる人もいるのだということです」

ということは、もし人見知りをなおそうと思ったら、普通の人が当たり前にできている「空気を読む」「相手の感情を察して話す」といったことを、実生活でのトライ&エラーを通じて学んでいく必要があります。いわば、こういうことをするとダメなんだな、というパターンを自分の中に経験を通じて積み重ねていくのです。

「しかし、日本はそうしたトライ&エラーがやりにくい社会です。海外から来た留学生が口をそろえて言うことがあります。『日本では人と違うことをするとちゃかされる』と驚くんです。日本社会は平均の方向に持っていこうとする力が強いんですね。これと同じことで、人見知りもいわば外れ値なので、周囲からはイジられる。

先ほど内向的な人は外部の刺激に対して敏感だと言いましたが、イジられることもすごくストレスになります。だからちゃかされないように黙っているわけです。トライ&エラーで人付き合いを学ばないといけないタイプなのに、それが余計にできなくなるのです。こうして人見知りが、ますます人見知りになる悪循環が生まれます」

平均と違う人をイジる日本の文化が、人見知りを生んでいる。だとするならば、コミュニケーション能力を社会人の必須スキルのように持ち上げることは、日本をどんどん生きづらい社会にしてしまうのかもしれません。

「人見知りであることによって生活に差し障りがあるのだとしたら、今の社会に必要なのは、人見知りをなおす方法ではないでしょう。本来は個性なのに、人々がそれを受け入れられないから問題になるのです。人見知りを社交性がないと糾弾せずに、彼らの強みを生かす環境を作っていくべきです」

人に合わせて組織を変えるのが真のダイバーシティ

では、具体的にはどんな仕組みを考えていくべきなのでしょうか? 池谷さんは、会社の評価システムを例に説明します。

「内向的な人は能力が高いからといって、そういう人をただ採用するだけではうまくいきません。日本の会社というのは、できる人を上の役職、つまりマネジメント職に登用しています。しかし、これではやがて行き詰まってしまいます。それを指摘したのが、『ピーターの法則』です」

ピーターの法則とは、教育学者のローレンス・J・ピーターが提唱した社会学の法則。能力主義の階層型組織の限界について指摘したもので、以下の3点でまとめられています。

  1. (1)能力主義の組織では、人は能力の限界まで出世する。従って、有能な人も出世し続けるといつしか能力の限界に達して無能になる。
  2. (2)無能な平社員は無能な平社員のままだが、有能な平社員はやがて無能な管理職になる。その結果、どの階層も無能な人で埋め尽くされる。
  3. (3)組織は「まだ無能になっていない人」が仕事をすることでまわっている。

自分の得意分野が発揮できるポジションでは生き生きしていたのに、出世した途端に元気がない……。そんな人が会社にあふれているとしたら、それは当人の資質の問題ではなく、組織の仕組みに原因があると指摘したのです。

「これは『能力がある人を昇進させる』という発想をしている限り、防ぐことができません。ひとつのことをやらせたら能力が高い内向的な人を、『君、優秀だね!』と言って昇進させることは、必ずしもいいことではないのです。

解決策としては、マネジャーとスペシャリストで評価の仕方を分けることにあるでしょう。私たちの世界でも、『自分は管理職にはなりたくない。一生研究者がいい』と言い切る研究者がいます。どんなに優秀であっても、マネジメントの能力は別とわかっているんですね」

すでに海外ではIT企業などを中心に、マネジャーとスペシャリストで、採用方法や社内評価の仕方を変えることが主流になってきています。すごいエンジニアが、管理職よりもずっと高い給料をもらうなんてことが珍しくなくなってきているのです。

しかし日本では、地位と給与が結び付いていることが多い。これを変えることが、人見知りが生きやすい社会につながり、ひいては社会を進歩させることにつながると、池谷さんは言います。

「海外の企業が地位と給与の結び付きをやめたのは、個性を重視する社会だからです。人付き合いは苦手だけど、ひとつのことに集中したら大きな成果を上げる。そういう人が本来の能力を発揮できる環境を整えていく。これがダイバーシティを実現するということです。

人が組織の仕組みに合わせるのではなく、人に合わせて組織が変わっていく。日本発のイノベーションを社会が欲しているのだとしたら、人見知りが真に能力を発揮できる社会に変えていってほしいですね」

池谷裕二(いけがや・ゆうじ)
1970年静岡県生まれ。薬学博士。東京大学薬学部教授。専門は神経科学および薬理学。著書に『海馬』(糸井重里氏との共著)『進化しすぎた脳』『脳はなにかと言い訳する』『単純な脳、複雑な「私」』『脳には妙なクセがある』など