北極冒険家・荻田泰永

極地に生きる冒険家 「北極男」が見据える未踏

2017/09/15(金) 公開

「北極点 単独・徒歩・無補給」という長い名前の挑戦

「北極男」と呼ばれる男がいる。2000年に初めて北極を訪れて以来、これまでに15回も北極を訪ね、冒険を続けてきた。

荻田泰永さん。その目標は「北極点単独徒歩無補給」、つまり、地球のてっぺんである北極点に、たった一人で(単独)、歩いて(徒歩)、誰にも物資を運んでもらわずに(無補給)たどり着いてみせようというのだ。成功すれば、日本人では初。世界でも数例のみで、少なくともこの10年間は成功者がいない冒険界の偉業だ。

2014年、2回目の北極点挑戦。出発から40日ほどたってかなり痩せている(提供:荻田泰永)

ただ荻田さんの15回の北極行のうち、北極点に挑戦したのは2012年と14年の2回だけ。12年は行程の前半で撤退し、14年は距離にして約半分の地点で撤退した。北極に通い続ける荻田さんにとっても「北極点」となると、困難を極めるのだ。

いうまでもなく北極点周辺には陸地がない。深さ4000メートル以上の海のうち、凍っているのは表面の数メートルだけだ。その氷は海流によって流され、ひび割れ、時には大きな亀裂を生じて行く手を阻む。

荻田さんはその難易度を「近年の地球温暖化によって年々、増しています。安定した氷が減っているんです。昔の冒険家が書き残した方法が今ではほとんど役に立ちません」と言う。これまでカヤックを持ち込んで氷の割れ目を進んだり、ドライスーツと呼ばれる防水服を着て凍てつく海を泳いで渡ったりと、過去にはない方法を試している。

荻田泰永さん

心が動いたときがやるべき時

そんな荻田さんが今年11月、初めて南極を目指すという。北極点の挑戦に使う飛行機会社がフライトをやめ、計画を組み立てなおす必要が出たからだ。

このタイミングで「いつかやろうと思っていた南極を先にやっちゃおうかなと思って」と、進路を南へ変えた。

なぜ、南極なのか。「単純に行ったことがないからという興味もありますし、違うところを見に行くというワクワク感もあります。心が動いたときがやるべき時だと思っています」と話す。

荻田さんの主な北極冒険ルート(Yahoo! JAPAN作成)

陸地のある南極は「技術的には北極より難易度は下がる」と言う。ただ距離は北極点到達よりも長い約1130キロになる(これまで荻田さんが北極点を目指したディスカバリー岬~北極点は約800キロ)。しかも南極点の標高は約2800メートルあり、海岸線から出発すれば「基本的に、登り坂」だ。おまけに南極には内陸から沿岸部に向かって吹き下ろす強いカタバ風が吹いている。つまり「ずっと向かい風」も予想されるのだ。

幸い南極では地球温暖化による変化は、冒険のスタイルを大きく変えるほどではない。テントや寝袋、炊事道具など、生活に必要な道具をすべて小型ボートのようなソリに積み込み、人間が引いて歩く。

2016年、グリスフィヨルドからソリを引いて進行中。スタート時、50日分の物資を積んだソリの重量は約100キログラムあった(提供:荻田泰永)

荻田さんは今年、南極点に単独徒歩無補給で到達し、のちに北極点にも同条件で到達することで「世界初の両極達成」を目指す。

「2011年のカナダ遠征では1600キロ、2016年には1000キロを歩いてきました。今の自分なら十分、到達できるはずです」。荻田さんの16回目の極地冒険が間もなく幕を開ける。

人生を変えたテレビの中の極地冒険家

「冒険家」という実にエキサイティングな人生の始まりは、何気ない日常の一コマから始まった。

1999年7月21日の昼すぎ、21歳だった荻田さんは何もすることがなく、アパートの自室でゴロゴロとテレビを見ていた。ただ家と学校を惰性で往復するだけの日々に退屈し、3年間通った大学は半年ほど前に中退していた。

「ただ何かをしたいというエネルギーだけは持っていたんです。実際には何もやったことがないくせに、オレは何かできるはずだって思ってました。そして何もできていないことが怒りとなってたまっていたんです。とにかく何かを変えたかった」

そんなとき、テレビの中に大場満郎という冒険家が登場し、凍傷で足の指を失ったとか、ホッキョクグマにテントを揺らされたなどという話を始めた。

「北極なんて興味はありませんでした。大場さんという人も知らなかった。でもテレビの中の大場さんという人は、自分のエネルギーをピュアに一方向に傾けているなって思いました。自分ができていないことを、『この人やってる!』と思うと、だんだん引き込まれて、いつの間にかテレビの前に正座して見ていたんです」

番組では最後に「来年、北極に若者を連れて行く」と言っていた。すぐに大場さんの講演会に参加し、主催だった新聞社に手紙を出す。すると大場さん本人から「北極に一緒に行かないか」という返信が届いた。

2000年初めての北極行(提供:荻田泰永)

こうして翌2000年4月に、初めての海外となる北極へ出発した。大場さんらとともに35日間かけ、北極の氷の上を約700キロ歩いた。しかし、長い旅が終わり日本に戻ると、そこには前と何も変わらない毎日が待っていた。アルバイト先と自宅の往復。新しいことを始める力もなかった。

「おかしい。こんなはずじゃ……」

唯一の経験は「北極を歩いたこと」だけだ。結局、1年後に「去年歩いたルートを今度は一人で歩く」という目標を掲げ、再び北極を訪れた。

「初回は大場さんに連れて行ってもらっただけでしたからね。装備の意味もわからず、技術も何もなかったんです。北極にすごく感動したわけでもなかったし、そこしか行くところがなかったんです。ただ、動いてさえいれば何かが起こるという気はしていました」

実際、この2回目の北極で荻田さんはほとんど冒険をすることなく日本に戻っている。でもそれは自らの足で踏み出したという点で「冒険」であり、その後「北極男」と呼ばれる人生が始まる実質的な初回の挑戦となった。

死なないために、自分を客観視する

北極の氷の上を歩くことは死と隣り合わせだ。荻田さん自身、いく度となく困難な場面に直面した。忘れられない危機は2007年にやってきた。

北極の真っただ中でキャンプ中、ガソリンコンロを倒し、火災が発生。手に大やけどを負った。すぐに救助が来る場所ではない。テントには大きな穴が開き、吹雪が来れば凍死の可能性もある。おまけにホッキョクグマも迫ってきた。「状況的には一番危なかった」と振り返る。

2007年、火災後のテント(提供:荻田泰永)

「冒険の回数を重ねるうちに、北極をわかった気になっていた。完全に自分のミスだった」。荻田さんは初心を思い起こすその傷を「ずっと消えてほしくない跡です」と見せた。

今もなお残るやけどの痕(撮影:石橋俊治)

人はとてもつらく困難な状況に追い込まれたとき「なんとかなるんじゃないか」と希望的観測をしたくなるものだ。2016年、グリーンランドの氷河を下っていたときにはそんな誘惑に駆られた。

この急な坂を下れば、長い旅もようやくゴールだ。すでに体はクタクタ。「もう一刻も早く下って、楽になりたい!」と思っていた。

ところがスキー場の上級者コースのような斜面を下り始めて間もなく、そこが氷の亀裂が多い危険なエリアであることに気付いた。ルートを間違えていたのだ。もし落ちれば命はない。危険を避けるには下ってきた急斜面を、登り返す必要がある。それも重いソリを引きずりあげながら。それはいやだ。そんなとき頭の中に「ひょっとしたらこのまま注意して行けば運良くゴールできるんじゃない?」という思いが駆け巡った。

「行くべきか、登り返すべきか」

だが最終的には登り返した。

安全第一と言えばそれまでだが、追い詰められた現場でそれを判断するのがいかに難しいことかは冒険家でなくても想像できる。荻田さんはそんなとき常に「一番は命。次にゴール」というプライオリティを思い返す。冒険中はストイックなまでに自分を客観視しているのだ。

2016年、グリーンランドの氷河。最後の氷河の中腹でキャンプ(提供:荻田泰永)

危険は避けるべき、困難は立ち向かうべき

もちろんそれでも冒険にはリスクが付き物だ。荻田さんはそのリスクを「危険と困難」に分けて考える。「危険とは人間にはどうすることもできないこと。巻き込まれるかどうかは確率でしかない」。それに対し「困難とは自分の経験や技術不足によって直面するリスクのこと。これは能力の問題です」。

冒険において、「経験がないうちは危険がすごく大きいけれど、経験を積むことで、危険を困難に変えることができる」と言う。

その上で「危険は避けるべきだけど、困難は立ち向かうべきなんです。私は危険なことをしているつもりはまったくない。とはいえ危険を困難に変えるには、ほんの少しだけ困難の領域を出て、危険に踏み出さなければそのエッジは広がらない。そこが挑戦なのかもしれないですね」と話す。

2011年、1600キロの徒歩行。激しい乱氷帯を行く(提供:荻田泰永)

アウトプットの時代へ

今年で40歳になった。

22歳で北極を始め、20代はひたすら北極の知識と経験を吸収するインプットの時代だった。だが30代になり、北極点への挑戦を始めると、必要な経費もけた違いに増え、自分を支えてくれる人や企業、社会とのつながりが生まれた。今まで自分がやってきたことは何だったのか、何に役立つのか、と考えるようになった。

2012年、荻田さんは「100マイルアドベンチャー」という挑戦を始めた。小学生を連れて100マイル(約160キロ)を歩くのだ。6回目となる今年は8月に大分県から熊本県までを歩いた。

「40代はそうしたアウトプットの比率が今まで以上に多くなるだろうなと思っています」と言う。

今年の100マイルアドベンチャーは台風5号の接近などで雨が続いたが、100マイルを無事に踏破した(提供:荻田泰永)

冒険を通して何が伝えられるか。「子どもたちに教育的なことは言いたくない。経験を通して自分自身で感じ取ってもらいたいから」。そして近い将来、大場さんが教えてくれたように「若者を北極へ連れて行きたい」とも言う。

白い氷と青い空が広がるだけの北極だが、「そこではいまだ見たことがない風景に出会うことがあります。そういう場所に出会ったとき、心が動かされるんです。来てよかったなって」

荻田さん自身、いまだ北極点には到達していない。ただもう苦悩もしていない。「あの頃の大場さんがそうだったように、今は何にエネルギーを注げばよいかを知ったからです」

まだまだ「自分の中にエネルギーはある」という荻田さん。2019年3月には、北極点を目指し3度目の挑戦に出る考えだ。

(取材・文/今井尚、写真/石橋俊治)

荻田泰永(おぎた・やすなが)
北極冒険家。1977年神奈川県生まれ。カナダ北極圏やグリーンランド、北極海を中心に、2000年から現在までの18年間で15回の北極行を経験し、北極圏各地を9000キロ以上移動。2011年にファウストA.G.アワード「冒険家賞」を受賞。著書に『北極男』(講談社)がある。