ろう者初のエベレスト登頂・田村聡

夢を追った36年 エベレスト「静かな」挑戦者

2017/09/14(木) 公開

静かな頂

2016年5月21日、一人の日本人がエベレストの頂上に立った。

田村聡さん。少年時代からの夢だった登頂について「周りの山がどれも低く見えました。本当にあきらめなくてよかった。夢を実現できました」と話す。だが、田村さんにはついに踏みしめた頂の靴音も、吹き付けていた強い風の音も聞こえない。

耳に生まれつき障害のある田村さんは、ろう者として世界で初めてエベレストの「静かな頂」に立ったのだ。

2016年5月21日、エベレストの山頂にて(提供:田村聡)

田村さんは1965年1月、東京都立川市で生まれた。生まれつき耳が聞こえず、幼少の頃は内気で、泣き虫だったという。

山との出会いは13歳の頃。家族で山梨県の西沢渓谷に出掛けたことがきっかけだった。「水がきれいで、空気がきれいで、もっとほかの山に登りたいと思ったんです」

その後、大学山岳部の経験があった叔父を交えて山登りに出掛けることが増えていった。

「高校の時、叔父と一緒に出掛けた北アルプスが忘れられません。とても怖かったけれど、とても面白かったのを覚えています」

父と叔父と一緒に登山し、山の魅力にひかれていった。写真は大岳山(提供:田村聡)

そんなある日、田村さんは一つの新聞記事に衝撃を受けた。1980年5月、日本隊が世界で初めてエベレスト北壁からの登頂を果たしたというものだ。

この瞬間、「自分も行ってみたいと思うようになりました。ただ当時、エベレストに登れるのは日本を代表する登山家だけで、一般の人にはとても無理でした。でもその後、いつか登ろうという気持ちがずっと私の頭の片隅にあったのです」。

聞こえないことのハンディ

田村さんは、学生時代から社会人山岳会「東京ろうあ者山の会」に所属し、ろう者としての登山技術を学んだ。聞こえない人が山に登る場合、たとえば落石の音に気付かないことが大きな問題となる。雪崩の発生や遠くで鳴り始めた雷の音にも気付けない。

田村さんの場合、補聴器を使えば近くで大きな声で呼び掛けられた時、言葉としては認識できないものの「何か話し掛けられているな」ということは分かる。

「以前、私が先頭を歩いていた時、突然うしろから話し掛けられているのに気付いて足を止めたところ、目の前を氷の塊が転がり落ちたことがありました。あの時、足を止めていなかったら、その塊に当たっていたところでした」

さらに大きな問題は、メンバーとのコミュニケーションだ。エベレストのような高い山の場合、ガイド役のシェルパとのコミュニケーションが欠かせない。お互いに近くにいる場合は身ぶりや手ぶり、スマートフォンの音声入力で声を文字化してもらうことでコミュニケーションがとれることもある。ただ少し離れた場所にいる場合、合図が聞こえなかったり、何かトラブルが起きても声を上げて助けを求めたりすることができない。

田村さんと30年来、山スキーやアイスクライミングを共にしてきた高橋裕さんは「ろう者が登山をする時、パートナーを得られるかどうかが大きな課題となります。特にヒマラヤなどの高所登山では、シェルパはガイドではあるものの、ザイルを結び合い、命を預け合うパートナー。シェルパにとっても命がけです。互いに信頼関係を築けるかどうかというハードルを乗り越えるには、相当強い意志が必要」と話す。

2002年にはヨーロッパ最高峰のモンブラン(4810メートル)を登頂(提供:田村聡)

見えてきた頂上

1990年代後半以降、ヒマラヤ登山をめぐる状況は変わりつつあった。それまでのように各国の登山隊だけでなく、一定の経験を積めば誰でも参加できる「公募隊」が盛んになってきた。公募隊とは経験豊富なガイドが、シェルパと共に一般の登山者をヒマラヤに案内するいわば「登山ツアー」だ。「ろう者にとっては絶好のチャンス」(田村さん)となった。

ただヒマラヤとなると、2カ月ほどの長い休みが必要だ。40歳になった頃、田村さんは退職を決意。2007年、田村さんは日本の公募隊に参加して、世界で6番目に高い山であるヒマラヤのチョーオユー(8201メートル)に挑戦し、登頂した。田村さんにとって初めての8000メートル峰の登頂となった。

この山で「苦しい場面もありましたが、生まれて初めて酸素ボンベを使いました。すると思った以上に楽に登れたんです。一緒に登ったシェルパに、『あなたは高所に強い人だ。エベレストにも登るといい』と勧められました」と言う。

夢のかなたにあったエベレストが、少しずつ現実的な目標になろうとしていた。だがその前には資金の壁も立ちはだかる。

エベレスト公募隊の参加費は、入山料、シェルパやガイドの費用などを含めると、一般的な公募隊で800万円ほどが必要になる。田村さんの場合、いくら資金を工面しても、耳が聞こえないことを理由に参加を断られることもあった。

結局、チョーオユーの登頂からさらに7年の月日が流れ、エベレストに初めて挑戦できたのは2014年のことだった。

世界の頂上へ

初めてのエベレストは7950メートルまで登りながらも、強風に見舞われ敗退という結果に終わった。

翌15年、再びエベレストに挑戦した時は、中国側6300メートル付近のテントの中で、ネパール大地震に遭った。中国政府からの指示もあり、撤退を余儀なくされた。「運ですね。どれだけ努力しても、やはり自然の力には勝てないということです」

2015年、中国側6300メートル付近でネパール大地震に遭遇した(提供:田村聡)

2度の敗退を経験しても、エベレストはどうしてもかなえたい夢だった。資金は底を尽き、周囲からも反対されていたという。

「成功したい。どんなに状況が厳しくてもそこから逃げず、とにかくもう一度、自分はエベレストに行くんだと心に決めました」

初めてクラウドファンディングでも資金を募り、16年に3度目のエベレスト挑戦を果たす。「必ず生きて帰ってお返しをしなければならないと、ほかの人の気持ちも背負っていました」

エベレスト登頂に向けて歩みを進める(提供:田村聡)

「チベットの広い風景が好き」という田村さんは、16年の挑戦も中国側北稜ルートからだ。

前半は比較的順調だった。だが頂上に近づくにつれ、頭がぼーっとし始め、足が前に出なくなった。一般に、標高が8000メートルを超えると空気中の酸素濃度が平地の3分の1程度となり、そこに滞在するだけで体をむしばむため「デスゾーン」と呼ばれる。

その時、田村さんの頭の中にはチョーオユーの記憶がよみがえっていた。あの時、酸素ボンベを使えば、とても楽に登れた。「あなたは高所に強い体質だ」とも言われた。それなのに今回は違う。

「ほかの登山者はすいすいと登っていくんです。自分は10歩進んでは息を整え、さらに5歩進んでは立ち止まる状況でした」。こんなはずじゃない。そう思いながらも体がいうことをきかない。そんな状況でも、小さな一歩を踏み出し続けることで、頂上は確実に近づいていた。頂上直下、すでに体は疲労困憊(こんぱい)の状態だった。「とにかくここであきらめるわけにはいかない。そんな思いで登り続けました」

エベレストの山頂で、応援メッセージが書かれたフラッグを掲げる(提供:田村聡)

あこがれ続けた山頂に到達した時は、もはや自分でカメラのシャッターを押すことすらできないほどだった。登頂の写真はシェルパに撮ってもらったものがあるだけだ。

体調不良の原因は山頂で明らかになった。ボンベからの酸素供給が十分でなかったのだ。十分な酸素を吸うことで、体力は次第に回復した。

「あきらめなくてよかった。夢を実現できた。聞こえなくても、できるんだ」。雲海が広がる山頂からの風景を見ながら、田村さんはそう確信した。

10年ほど前から田村さんのパートナーの一人として岩場を登る古米紀和さんは、「エベレストは大きな成果ですが、彼にとっては一つの『通過点』だと思います。田村さんには次の夢があるからです。ただ、田村さんのことを知る人はまだまだ少ない。一人でも多くの人に田村さんの存在を知ってもらい支援が広がれば」と言う。

その先にある、挑戦

今年は南米の山、オホス・デル・サラード(6893メートル)に登頂した。この山は世界7大陸最高峰の一つであるアコンカグア(6962メートル)に継ぐ、南米で2番目に高い山だ。「この2番目の山(オホス・デル・サラード)の方が難しいとされています。記録を追うのではなく、これからも自分の登りたい山に登っていきたい」。そう話す田村さんが次に目指しているのは、ヒマラヤ山脈でエベレストよりも難しいとされるK2(8611メートル)だ。

パリ・ダカール・ラリーに出場時(提供:田村聡)

ただ一方で田村さんはこの36年間、山だけを考え続けてきたわけではない。その間、実にさまざまな挑戦をしている。冬は山スキーを履いて山を滑り降りる。16歳で免許を取ったオートバイで2002年には「パリダカ」にも出場した。「実はエベレストよりもパリダカの方が大変だったかもしれないです」と笑う。

去年からはパラグライダーも始めた。無線でのやりとりが必要となるため、ほとんどの学校で断られたが、田村さんはあきらめない。震動でコミュニケーションする機器を取り付けることで、受け入れてもらえるスクールに出会った。「エベレストから下山後、初めてソロで飛ぶことができました。空は本当に気持ち良くて楽しいです」。

田村聡さん

さらに最近はドローンの操縦にもはまっているという。「これはまったく遊びですけれどもね」と、身長180センチの大人がまるで子供みたいに笑った。

「最終的な夢は持っていません。ただ目の前の階段を一つ上がり、そこから見えた次の階段に挑戦するだけです」と言う。

田村さんの好きな言葉は「挑戦」だ。自分ができることが少しずつ増えていく。そのことが満足感につながっている。ここに田村さんが挑戦を続ける源泉を感じる。「勇気を出し、やってみる。そこから発見していくことが、自分が目覚めていくことにつながるのではないでしょうか。最初はほんの少しでいい。それが次の道に続いていくのだと思います」。手話を使い、温厚な表情で語る田村さんの静かで熱い挑戦はこれからも続いていく。

(取材・文/今井尚、撮影/石橋俊治)

田村聡さん
田村聡(たむら・さとし)
登山家。1965年東京都生まれ。生まれながら耳が聞こえない、ろう者(聴覚障がい者)。2002年にヨーロッパアルプスの最高峰・モンブラン、2016年には世界最高峰・エベレストの登頂を果たす。登山以外にも、2001-02年の「パリ・ダカール・ラリー」(現ダカール・ラリー)モト部門出場など、精力的に活動する。