石川直樹さん、冒険って何ですか?

2017/09/11(月) 公開

冒険と聞くと、僕たちの日常生活からは、とても遠いところにあるような気がしていた。けれども「見慣れた範囲というか、自分が慣れたポジションというか、その枠から一歩外に踏み出すこと自体がすべて冒険である」と、石川直樹はいう。

22歳で北極から南極までを人力で踏破する国際プロジェクトに参加し、その翌年には当時最年少で世界7大陸最高峰に登頂。その後も地球を丸ごとフィールドに旅を続ける、現代の「冒険者」に改めて聞く。

──石川さん、冒険って何ですか?

石川直樹(いしかわ・なおき)
写真家。1977年東京都生まれ。人類学、民俗学などの領域に関心を持ち、辺境から都市まであらゆる場所を旅しながら、作品を発表し続けている。『CORONA』(青土社)により土門拳賞を受賞。著書に、開高健ノンフィクション賞を受賞した『最後の冒険家』(集英社)ほか多数。現在、新潟市美術館で個展「この星の光の地図を写す」(9月24日まで。10月21日より、千葉・市原湖畔美術館に巡回)を開催しているほか、「札幌国際芸術祭2017」(10月4日まで)、「奥能登国際芸術祭2017」(10月22日まで)にも参加。

◇石川さんと考える、冒険のこと

──まず石川さんは何者ですか? 写真家、著述家、それとも冒険家?

小学生とワークショップをする機会があるんですが、その時は「世界中を歩きながら、写真を撮ったり、ときどき文章を書いたりしています。世界中の高い山に登ったり、川を下ったり、海を渡ったり、いろんな場所を旅して歩きながら、体で世界のことを知るのが、僕の仕事です」と言っていますね。

──なるほどわかりやすいですね。でも冒険家という言葉は使わないんですね。

冒険家といったら簡単なのかもしれませんが、前人未到の何かをやり遂げたわけではないので。昔、植村直己さん(※1)という冒険家がいましたけど、彼のような偉業を自分が成し遂げたわけではないですし、年中、冒険のような旅をしているわけでもありません。

職業的には写真家という言い方がいちばん適切かなと思います。というのも一年のうち写真に関わる仕事が大半なので、消去法でいくと、最もうそがない。でも肩書などではなく、名前だけで生きていくのが僕にはいちばん合っている気がします。

(※1)植村直己(うえむら・なおみ)。1941年兵庫県生まれ。1984年に世界初の冬季マッキンリー単独登頂の成功を伝える無線交信を最後に消息を絶つ。日本人として初めて世界最高峰エベレスト(8848メートル)に登頂したほか、世界初の五大陸最高峰登頂や北極点単独犬ぞり到達などを達成した。

写真集『Lhotse』(SLANT)より。世界第四位の高峰ローツェの標高8000メートルを超えた斜面(提供:石川直樹)

──冒険についていうと、過去に著書の中で、「辺境の地に行くことや危険を冒して旅することが、果たして本当の冒険なのでしょうか」という投げかけをしていますね。

僕は冒険や探検という行為を否定しているわけではなく、たぶん誰よりも好きで、本当の意味での冒険や探検について、これまでずっと考え続けてきたという自負があります。だからこそ、自分がやっていることが、一般的な意味での冒険とはちょっと違う、と思っているんです。

例えば、お母さんが初めて子育てをするとか、会社を起業するとか、何でもいいんですけれど、いつもとは違う場所に向かって歩きだすことすべてが冒険なんじゃないか。突き詰めていくと、見慣れた範囲というか、自分の慣れたポジションというか、その枠から一歩外に踏み出すこと自体がすべて冒険なのかもしれない、ということに行き着くんですよね。

──すごく日常的なところにも、冒険があるということですね。

20代前半の頃、ミクロネシアやポリネシア(※2)に星を見ながら海を渡っていく航海技術があることを知って、それを受け継いでいるおじいさんと一緒に航海をしたことがあるんです。その島ではGPSとかコンパスとか海図もない中で、星を見ながら海を渡る。それ自体が本当にすばらしい、生きるための技術であるということを感じました。

彼らはそのことを冒険とか、探検とか言わないけれども、きわめて冒険的であり、優れて探検的な行為でもあって、そういうのが日常に溶け込んでいる。そうした生きるための知恵も含めて、日常の中にもいくつもの冒険があるんじゃないかと思うようになりました。

(※2)太平洋にある大小数千の島々が点在する多島海地域の総称。大きく3つに区分されており、ミクロネシア、ポリネシアのほかに、メラネシアがある。

写真集『CORONA』(青土社)より。キリバス共和国クリスマス島の漁師がカヌーで漁に出かける(提供:石川直樹)

──日常の中に冒険があるという一方で、僕らが思い描くような極地や高山に挑む冒険はどうなっていくんでしょう? 今は「地理的な空白がない時代」とよく言われますけど。

アムンセン(※3)とかスコット(※4)の時代というのは、まだ南極点に誰も到達していなかった。だからこそ、そこに行くという大義があった。でも今は、誰も到達していない場所というのは、ほぼなくなっている。だからこそ、宇宙に行くことが注目されたりしますよね。

本当に調べていけば、例えば角幡唯介さんの『空白の五マイル』(※5)のように、チベットの奥地へ続く川の「この5マイルだけは誰も到達していないんじゃないか」みたいなことはあり得るかもしれない。けれど、そういう場所以外は、ほぼ詳らかになった。

ただ、地理的な空白はないといっても、そこに行った人の感じ方というのは無限にある。いろんなレイヤーが目の前に重なっていて、みんなが見ているレイヤーじゃないところに滑り込んでいくと、未知の世界が見える。地理的な空白はないけれども、見方をほんの少し変えることによって、未知の風景が立ちあらわれるということを、僕は常々思っています。

(※3)ロアール・アムンセン。1872年ノルウェー生まれの探検家。1911年12月に人類史上初めて南極点への到達に成功。1926年には飛行船で北極点へ到達し、同行者のオスカー・ウィスチングと共に人類史上初めて両極点への到達を果たした。1928年没。
(※4)ロバート・F・スコット。1868年イギリス生まれの軍人・南極探検家。アムンセンらのノルウェー隊に約1カ月遅れ、1912年1月に南極点到達。帰途遭難し、命を落とした。
(※5)『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)。ノンフィクション作家・探検家の角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)の作品。第8回(2010年) 開高健ノンフィクション賞、第42回(2011年)大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。

石川直樹さん

◇石川さんに聞く、世界をめぐる心構え

──石川さんは世界のさまざまな土地、異なる文化圏を旅していますが、初めての場所に行くときの心構えみたいなものはありますか?

「郷に入っては郷に従え」が基本で、自分が異邦人であることを忘れないようにしています。あるコミュニティーの中に1人で入っていく自分というのを、心に留めておく。だから相手の習慣をなるべく理解しようと思うし、相手への敬意を忘れない。謙虚な気持ちを持って他者に接していくのが、なにより大切ですよね。

写真集『Manaslu』(SLANT)より。ネパール、マナスル峰の麓にあるサマ村の女性や子どもたち(提供:石川直樹)

──知らない場所を旅したり、極地や高山に挑戦したりと、そこに恐怖みたいなものはないんでしょうか?

もちろん恐怖はありますよ。でも、恐怖があるってことは、慣れないこと、やったことがないことをしているから。(そこには同時に)未知のものと出会っているっていう、喜びもある。知らない場所にいま自分は立っているんだって。(だから恐怖は感じても)それに支配されてしまうことはあまりないですね。

去年、アラスカのデナリという山に一人で行って、怖かったですよ。みんなはロープを結んで歩いているのに、自分は一人で歩いている。クレバスに落ちたら、誰にも知られずに死んじゃうのかなって。

でもその代わり、自分は今、自由なんだって思いました。いつ止まってもいいし、いつ歩き出してもいいし、お菓子を食べてもいいし、西に行っても東に行ってもいい。何があっても誰のせいにもできず、その代わり、どのようにでも動ける。怖さと自由は表裏一体ですね。

──旅先で日記を付けていますよね。石川さんにとって、旅の最中に写真や文章を残すことは、どんな意味があるのでしょう?

旅することと記録すること、これは切っても切り離せません。とある山に一人で登ったとして、頂で写真を撮らないと登頂した証しを示せないですよね。ダーウィンの時代は遠征に絵描きを連れて行きましたが、今はカメラがある。昔から旅と写真は切っても切り離せないものでした。

(日記も)やっぱり旅先のいろんなことって忘れちゃうので、それをきちんと書いておきたくて。部屋の片隅に何があったとか、スープの味とか、何色の毛布をかけて寝ていたとか、そういうことも書いておけばね。あとで、それを読むといろんな記憶が呼び起こされて、また別の世界が広がっていくので。

だからまずは旅の記録として、写真を撮ったり、文章を書いたりしていますね。

写真集『知床半島』(北海道新聞社)より。冬の斜里町ウトロの丘から見たオロンコ岩(提供:石川直樹)

──世界では慣れない食事も多いと思うのですが、「これはもう食べたくないな」って食べ物はあるんですか?

僕は舌が肥えていないから何を食べてもおいしいって感じちゃう。特におなかが空いているときは何でも。だからまずくても「これ食えない」って投げ出すようなことは一切ないんです。でも、もちろんつらかった食べ物もありますよ。例えば、エチオピアで食べ続けたインジェラ。

発酵したパンのようなものなんですが、色も、形も、大きさも、なんか雑巾みたいなんですよ。酸っぱくて、なんか泥水を吸い込んだ本当の雑巾みたいな色をしていて……。それが毎日出てくる。それを食い続けて、ちょっと気持ち悪くなったことがありますね。

──雑巾とまで言われると、ちょっと興味が……。

あとはミクロネシアのカヌーの旅で、パンノミっていう黄色い芋みたいなものがあるんですけど、ふかしたてはとてもおいしいんです。それを練って発酵させた保存食があって、食感がガムみたいで、さらにすごく酸っぱいんです。で、ゲロ吐きました。船酔いもあったのかもしれませんが、すっげえまずかった(苦笑)。

写真集『CORONA』(青土社)より。ハワイの伝統航海カヌー・ホクレア号から海に飛び込む若者たち(提供:石川直樹)

◇石川さんに聞く、みんなが思っている疑問

──ネットでよく見かける質問を2つだけピックアップしてみました。まず1つ目。冒険家の保険ってあるんですか? もしくは、保険についてどう考えていますか?

保険?(苦笑) 普通の保険には入れないんで、例えばヒマラヤだったら「グローバルレスキュー」っていう救助費用などがカバーできる保険のようなものがあるんです。もしかしたら、厳密には保険じゃないのかもしれませんが。極地遠征の際は、それに入りますね。それ以外はもう、しょうがないですよね。普通の旅では、(クレジット)カードの付帯保険や最低限の保険には入ります。考えすぎてしまうと、冒険的なことはできなくなってしまいますから。

石川直樹さん

──もう1つ。これもすごく冒険的じゃない質問ですが、老後の不安はあるんでしょうか? これからの生き方を考えることはありますか?

今まで何十回もインタビュー受けてきましたけど、珍しい質問ですね(苦笑)。

老後の不安について真剣に考えたことはありませんでした。今まで、世界中でいろんな人を見てきて、どんなふうにしても生きていけるなって思っているところがあって。インドなんかでも、本当に路上で生活している人がいっぱいいるし、北極では犬ぞりを使って狩猟をして生きている人もいれば、ミクロネシアではふんどし一丁で日々生活している人もいて。

もちろん日本のシステムの中で生きていくこととは違うんでしょうが、彼ら彼女らのことを思い出すと、どうにでもなるんじゃないかなって。

やっぱり未知の何かと死ぬまで出会い続けたいという気持ちのほうが勝っているのかもしれません。保険とか、老後どうなるかとか、そこまで考えたことがないです。その場その場であらゆることを受け入れて、受け止めて、新しい場所に向かって歩いていきたいという気持ちのほうが強い。

だからDIYとか、ブリコラージュ(※6)じゃないですけど、「与えられた環境やその場にあるものを工夫してどうにか生きていく、対処していく」という生き方の人々にひかれますね。ヒマラヤのシェルパ族や太平洋の航海民なんかもそうですし、可能なら自分もそういうふうに生きたいと思いますけれども。

(※6)あり合わせの道具や材料で物を作ることをいい、「器用仕事」などと訳される。持ち合わせているもので現状を切り抜けることなどを意味する。

写真集『Manaslu』(SLANT)より。ヒマラヤ・マナスル峰のベースキャンプに続く道(提供:石川直樹)

◇石川さんが感じる、いちばん好きな瞬間

──世界を巡っていて、いちばん好きな瞬間は?

見たことがないものに出会って、気持ちが揺さぶられているときですかね。それは好きとか楽しいというのともちょっと違って「これは全身で受け止めないとダメだ」と思う瞬間というか。目の前の世界について、自分自身の体を通じて知りたいと思って旅をしていて。それが今もずっと続いています。

──「体を通じて知りたい」と言いますが、物事を身体的に経験することの大切さとは何でしょう?

本当に当然のことなんですが、匂いだったり、音だったり、感触だったり、その場にいないとわからないことってたくさんありますからね。

いちばん生きていて楽しいのは、赤ちゃんじゃないですかね。なんにも知らないから、麦茶だって、本だって、椅子だってわかってないので、触ったり、なめたり、匂いをかいだりしながら、少しずつ知覚していきますよね。なんでもかんでもなめたりするし、驚くときは全身でびっくりする。そういうのってすごく面白いことだなと。

歳をとると逆で、「あれも知ってる」「これも知ってる」って思いこんで、知ろうともしないまま、知っているつもりになってしまう。あらゆる身の回りのことを知ったつもりになって、切り捨てていくことのもったいなさを感じます。

そうやって自分のアンテナが何にも反応しなくなって、最終的には身の回りのことに一切興味もなくなってしまうかもしれない。もしかしたらそれが仙人みたいな人なのかもしれないけれど、でもそうなったらちょっとつまらないんじゃないか。

だから僕は極力知っているつもりにならないで、いろんなことを自分の体を通じて知覚したいって思う。そんなことが可能なのかわからないですが、少なくともそう思い続けることは大切だと思うんです。

石川直樹さん

(取材・文/Yahoo! JAPAN 写真/中田智章)